こんにちは!

今日も医師の循環器疾患・不動産投資まとめサイトにお越しいただきありがとうございます。

早速ですが、今日は『いい医者の条件とは何か?』についてあくまで自分が思っている事をメインで説明したいと思います。

(あくまでブログで話す内容なのでこれから先に続く内容に関した白熱する討論は避けさせてください。笑)

まず、僕自身が感じる良い医者の条件とは『想像力』『解決力』の2つが優れている事だと思います。

ちなみにタイトルを見て、『論文書こうぜ!!』の啓発ブログだと思われ方がおられればそれは申し訳なかったです。

(というか、そんな気は毛頭ありません。)

ここでいう想像力とは、例えば手術の際に、『お、癒着がひどいな、よく見えないけど、この裏には血管があるかもしれないから注意しよう。』とか『うーん。この症状はもしかしたらあの病気のサインかもしれないな。』などです。

すなわち、落とし穴に落ちる前に回避する能力といってもいいかもしれません。

一方で解決力とは、原因ははっきりとはわからない(実際の現場では目の前の患者さんが苦しんでいても、必ずしも原因がすぐにわからない場合がある)時でも、力ずくで解決してしまう力です。

例えば交通事故で瀕死の状態の方に、蘇生させ、安定させる力であったり、手術でトラブルが発生した際に、現場をパニックに陥らせることなく、手術を完遂する力のようなものを指します。

こちらは落とし穴に落ちてしまっても穴から抜け出す力のようなものと考えて頂くとわかりやすいかもしれません。

昔から面接などでいい医者とは何か?という話題で議論した際も、この2つを出して論破されたことは一度もありませんね。

(もちろんほかに人間性など追加するべき項目はあるのかもしれませんが。)

そして時々あるのが、『論文を書いている医師=良い医師、勉強している医師』としてしばしば医者の間ではあがめられている光景です。

まず断っておきますが、僕自身はインパクトファクター10点ほどの論文の1st authorの経験がありますし、学会のシンポジウムで発表したこともあります。(ランチョンセミナーの講演経験はありません。)

また過去には日本循環器学会の総会でもExcellent case presentation by young careersでも発表しています。

これ自体は、与えられた環境に恵まれたことと、その時の上司の先生方の功績が大きかったことに由来し、自身の実力はこれっぽっちもなかったと思っています。

そのうえで言わせて頂くと、僕自身は論文を書いている=良い医師とは限りませんし、逆に書いていない=悪い医師だということもないと思います。

しばしば若い先生で、『自分は論文を書いていないから劣等生』みたいな負い目を感じている人がいますがそれは絶対に違うと思います。

挙句の果てに居場所をなくして退職するとか、医局を去る、医局にいるのが何だか気まずいなんてものは論外だと思います。

(本当にこれは悲しすぎる)

僕からすれば論文が書ける・書けないは得意不得意や、興味の問題であって、仮に論文が書けなくとも看護師さん・スタッフへの説明が良ければ、それは現場レベルでスタッフを成長させ、病院や地域の利益につながっているように思っています。

兎にも角にも、医者は論文を書くことが正義で、論文を書いていない=Poorとしてマウントを取りたがるような傾向にあるように思います。

それはおそらく、小さいころからの競争環境の中で育ってきた影響も少なからずある様に思います。

なんなら医学以外のことに興味ある人もいるよねー。と言えるような環境は、僕自身はあるべき本来の姿なのではないかと感じます。

本題に戻りますが、では患者さんが現場レベルで必要とする想像力や解決力が優れた医者にどうやって出会うのか、ですがこれは実際なかなか難しいんですよねぇ。。

よくある●●手術の多いランキングは、あてになるようであてにならないように思っています。

(実際にその先生が手術をやってくださるわけでもないですしね。)

おそらく医者同士であればこの人すげーっ!って感じることができても、患者さんが違いを理解するのは極めて難しいのではないかと思います。

あと、よく開業医さんは不勉強で、病院は安心みたいに思っている方もおられますが、それも違うと思います。

近所の開業医の先生が実は元手練れの凄腕Drだったなんてのは全然あると思います。(イメージ)

イメージ:漫画るろうに剣心(翁) 

最後はややまとまりのない内容になってしまいましたが、今日の内容がブログを読んで下さっている方々の励みや希望になっていれば幸いです。

今日もありがとうございました!

おすすめの記事